まだまだ私の感情は眠っているみたい
夫と出会って生き直し中の私。
自分の意見も言えるようになった。
泣き言も言えるようになった。
親への反抗もできた。
(さんざんな結果だったけど、実行できた)
いろいろできるようになったけど、まだまだ自分の感情がよく分からない。
気になることは多いけど、実行するのに、ものすごく悩む・迷う・決められない。
怖い、すくむ、やめたほうがいい。恥ずかしい。
母に対しては、関わりたくない、この一言に尽きると思ってたけど、その前の「怒り」や「悲しみ」を感じつくしていないんじゃないかと思い当たった。
だらか、今、自分の感情が分からないんじゃないか。
怒りを知らないから怒れない。
怒る前にストッパーがかかる。
そんなことしたら、
・・・恥ずかしい?迷惑がかかる?
なんだろう。
怒りという感情がよく分からないと思ってた。
母に対して怒ってないからだ。
母に対して怒っていいんだ。
当時の母の年齢をとうに超えて当時の母にも余裕がなかった事は分かる。
だけど、だからといって当時の私がないがしろにされていいわけではない。
当時の私の心が悲鳴を上げていたのは事実なのだから。
そして、泣き声をあげることすらしてこなかった、いやできなかった私を慈しむ癒すためには、まず、怒りを感じる事なのではないか。
私だって、聞いてほしかった。
母の愚痴を聞く前に、聞いた後でも。
私だって悩みがあった。
私だって不安だった。
私だって悲しかった。
私だって心細かった。
私だって慰めてほしかった。
あなたの思い出は後姿。
母は家族を養うために手に職をつけたそうだ。
そして、その職で私たちを養った。
それは、たしかにありがたいことなんだろう。
食事にも困らなかった。
でも、お金がないと常にこぼす母におねだりなんかできなかった。
常に父の愚痴、祖父の愚痴、もういない祖母の愚痴、姉の愚痴、お客さんの愚痴、親戚の愚痴、近所の愚痴、愚痴を聞かされて育った。母の涙付きで。
母が嫌う態度、返事、行動を聞かされ続けた。
私の手足はもがれていった。
私の口は閉ざされていった。
私が世間の規範から反することは母が恥ずかしいこと。
私がやることは世間様に恥ずかしくないこと。
私がやることは世間様にほめられること。
私がやりたいことは、分からなくなった。
私は母好みの人形だった。
母の愚痴をいつでもいつまでも聞き、
母の望む答えを口にする。
そうすることで母は喜び私は安心する。
まだここにいられる。
母に見捨てられないようにする。
母に見放されないようにする。
そうしないと生きていけないと思い込んでた。
実家を離れ、母の操り糸に気づき、切り離してきたと思ったけど、まだまだ残っている。数々の母の呪いの言葉。
母にしてみれば子を思ってのことなんだろうけど、私にとっては呪いの言葉。
私を無意識に縛り続ける呪いの糸。切っても切っても出てくる。
私は可哀想だった。
人に可哀想だと思われたくなかった。だって事実だから。
私は大丈夫。私は可哀想なんかじゃない。私は平気。
笑顔の仮面をつけた操り人形でしかなかった。